「小説」
伝怪

伝怪 02

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       ―― ・ ――

 八号棟前の公園に、トンカラトンが出た。
 その噂をはじめて聞いたのは、たしか六年前。聡美が小学三年生だったころだ。
 中学生になった今はもちろんのこと、当時の聡美にとってもそれは呆れ返るくらい幼稚なお話で、おなじ棟に住むカヨちゃんと苦笑いしたのを覚えている。なぜなら、トンカラトンは包帯で全身をグルグル巻きにした怪人で、
「いきなり自転車できて、〝トンカラトンって言え〟って脅すんだ」
「言わないと、持ってる日本刀で斬られちゃうんだって……」
 という、子供だましにもならない都市伝説だったから。
 おまけに、聞かれる前に勝手に〝トンカラトン〟と答えても、やっぱり敵とみなされて斬られてしまうらしい。だから決して手順を間違えてはいけない。左手に包帯を巻いておけば、仲間だと勘違いして見逃してもらえる。
 もうここまでくると、整合性もなにもない。単なるインネンだ。
「トン、トン、トンカラトン」
 ――トン、トン、トンカラトン……。
 奇妙な拍子でくり返す男子たちのその歌を、聡美はため息まじりに聞いていた。ガニマタで踊りながら歌うそれは、件の怪人が口ずさんでいるものだというが、だからなんだというのだろう? 今どき、都市伝説なんて流行らない。「アニメのTシャツを着た不審者がウロついている」とでも言われた方が、よっぽど怖いくらいだ。
 ただ、話のオチにつく一文だけは不思議と気になった。
 ……トンカラトンに斬られた人は、トンカラトンとなってさまよいつづける。
 死ぬことすら許されず、団地の片隅で増殖する異形のなにか――おぼろげにその姿を幻視した一瞬だけ、首筋をそら寒い感触が撫でつけていったものだった。
(でも、なんで今さら)
 こんな昔のことを思い出すのだろう。取るに足らない、子供時代のわるふざけを。
 考えれば考えるほど、泥を詰めたように頭がノロノロまわり、堪らず聡美は硬くまぶたを閉じた。どこかへ引き込まれるような不快な感覚。重く深く沈み込む思考を必死に堪えていると、甲高い女教師の声で現実世界に引きずり戻される。
「市ノ瀬さん……市ノ瀬聡美さん?」
「……あ、はい」
 慌てて顔を上げると、教壇から担任の藤崎先生がじっとこちらを見つめていた。
「もしかして、身体の具合でもわるいの?」
「……いえ、そんなことは」
「そう。だったら、いいんだけど」
 さらになにか言いかけて、先生はすぐに口を閉じる。
 もちろん聡美の言葉を真に受けたわけではないだろうが、たとえ教師といえども、いわくつきの生徒とは必要以上に関わりたくないのだ。一様に聡美を盗み見た生徒たちも、すでに興味をなくして手元のスマートフォンに目を落としているか、これ見よがしに眉をよせながら、ヒソヒソとなにかささやきあっている。
「えぇと、どこまで伝達したかしら――」
 そうして教室は、なにごともなかったような先生の声でざわめきを取り戻し、いつものホームルームの風景へと返っていった。身を縮めてその様子を確認した聡美は、小さく安堵の息を漏らし、鈍い痛みを増すこめかみに手をあてる。
(……そうだ、これでいい)
 どのみち、ここに聡美の居場所はない。形だけ与えられた廊下側・最後尾の席は、〝かわいそうな被害者〟を保護する安全地帯ではなく、〝子供に見せたくない汚れモノ〟を隔離するために用意された、60センチ×40センチの流刑地なのだから。
 とにかく目立たないように。
 それだけに集中して、ふたたび目を閉じる。穢れた血を受けついだ不浄の子。インバイから産まれたあさましい娘。大丈夫、大丈夫。こうして嵐がすぎるのを待っていれば、そんな陰口だっていつかは聞こえなくなってくる。
(きっと、あんなことさえなかったら)
 時折そう考えることもあるが、それだって〝今さら〟に違いない。
 聡美は息を殺し、じっとその時がくるのを待った。やがてじょじょに頭の芯が痺れてゆき、きつく結んだまぶたの裏側にまた現世が遠のいてゆく。たんたんと職務をこなす事務的な先生の声も。うわべの共感に余念のない級友の会話も。聡美を置き去りにした母の背中も。日ごと壊れてゆく父の無残な姿も。
 全部全部、ねっとりと粘りつく暗闇の彼方へ。そしてその向こうの深淵から、
 血濡れた包帯に塗れた腕が、ゆっくりと聡美に手まねきをした。

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