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「小説」
伝怪

伝怪 08

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 聡美はそれから、ひとりで家にいられなくなった。家の中にひとりでいると、どこから母の影……いや、あの怪人に囚われるか、わからなくなったからだ。
 もちろんそれは、聡美が生み出した幻覚なのだろう。
 けれど、玄関の隅にクローゼットの陰。家の中にできたほんのわずかな闇の隙間からでも、いつも男は聡美を見つめていた。たとえば風呂で髪を洗っている時、夜眠ろうと目をつむった時、閉じたまぶたの裏の些細な闇からも、緋色に充血した目は聡美を捕まえようとする。そんな妄想が、聡美の頭には住みついてしまった。
 本当に馬鹿馬鹿しいことだと、自分でも思う。
 ただ、それが無性に怖かった。
 都市伝説の怪人など、現実には存在しない。そのくらい承知していても、どうしても不安が消せなかった。捕まって斬られれば、自分が自分ではなくなる。まじめにそう信じ始めている自分の頭が、なおさらに恐ろしくなっていた。
(だから……)
 また聡美は、父を頼った。
 ひとりでさえいなければ、怪人はそれ以上近づいてこない。
 父を恐れて母に助けを請い、今度は母が怖くて父に縋る。そんな自分が惨めで汚らわししかったが、突き上げた衝動は抑えようがなかった。
 はじめて幻覚が見えたあの日、聡美は父が帰るまでトイレで気を失っていた。揺り起こされた聡美は悲鳴を上げ取り乱し、父の首に両腕で縋りついた。その視線の先――廊下の端にできた闇から、まだ怪人はじぃっと聡美を見据えていた。その恐怖から逃れたい一心で、ついに聡美は自分から父を求めた。
 わけもわからず、その場で父とまぐわった。
 トイレから半身を投げ出し、父の上でつたなく腰をふった。
 行為が終わると、いつの間にか怪人は消えていた。放心状態の聡美を宥めると、父は噛み痕から血が滲んだ聡美の左手を治療してくれた。左手に包帯を巻かれながら、聡美は必死に母と怪人のことを話した。要領を得ない聡美の説明に困惑しつつも、父は泣きじゃくる聡美を抱きしめて言った。
「大丈夫……マサミのことは、ちゃんと守るから」
 母の名で呼ばれた不快感より、幻覚をふり払えたことで安堵した。
 そうして聡美も、被害者から加害者になった。
 加害者になった聡美は、もう父を責めることはできなかった。一度でも自分から求めてしまった事実が、うしろめたさになって聡美にのしかかっていた。あれほど嫌だった父との姦通も、今では聡美自身の罪となっていた。
 少なくとも、聡美の中では。
(それもやっぱり……)
 自分が弱いせいだからなのかと、聡美は自身に問いかける。
 教材のテキスト音声のような教師の声は、機械的に耳を滑っていた。これは数学の授業だったろうか、それとも化学の授業だったろうか。
 あれから数日。聡美は仕方なく、学校に出るようになっていた。父が帰るまでの空白の時間、どうにか人目のある場所で凌がなくてはならない。たとえ〝いないモノ〟扱いだったとしても、ここならその心配もいらないだろう。思案はしてみたが、経験値の低い聡美にはそれしか思いつかなった。
(……でないと、またあの怪人が)
 ――任せてしまいなさい、彼に……。
 まとまらない頭の中に、母の声が混じりさらに迷走する。自分はこれからどうすればいい? 担任に打ち明けて、懺悔でもするか? あるいは交番に駆け込み、父の犯されたと泣きわめくか? 考えるほど混乱は増し、思考が霧に埋もれてゆく。焦れて左手を噛みかけ、包帯に阻まれ気を取り直す。薄汚れた包帯の下で、傷はじくじく疼いた。無為な時間はたんたんとすぎ、答えは出ないまま午前の授業が終了する。
 給食の時間になると、配膳台が運び込まれ慌しく机の移動が始まった。
 申しわけ程度に班の横面だが、聡美も周りにならって机を合わせた。楽しげに響いてくるざわめきも、今だけはこころ強い。
 きのこご飯に、肉じゃが。ししゃも焼き、のりあえ、瓶の牛乳……粘土の味しかしないそれらのメニューを、聡美は目を伏せたまま黙々と口に運ぶ。班から無言の圧力はかかっていたが、それも気にしている余裕はなかった。あの赤い視線に怯えながらひとりで父の弁当を食べるより、この方がはるかにマシだった。ただ。
 父との爛れた生活が放つ、饐えた臭いを嗅ぎ取られてはいないか。それだけが気になって、聡美は闇雲に粘土の給食を詰め込んだ。
 授業がすべて終わると、もう陽は暮れかけていた。
 手元の携帯で確認すると、サブディスプレイに表示された時刻は四時少し前。ほんの数日で、日中がどんどん短くなる。怯えるだけの生活は、おなじ速度で聡美の精神も化膿させた。黄昏時。たそがれどき。……その由来が〝たそかれ〟だと教えてくれたのは、父だったろうか。高台から赤く染まった町を見渡し、ぼぅっと考える。
「たそかれの意味は〝誰そ彼〟。江戸時代は街灯もネオンもなかったから、この時間帯になるとすれ違うひとの顔も見えなかったんだな。それで、誰そ彼……ただし、声をかけてくるのが人間とは限らない。だから――」
 ああ、そうだ。たしかそんな呼び方も教えてくれた。
 ――逢魔時。
 夕焼けは、禍時を連れてくる。
 ならば聡美にとっての災いは、父なのか? 怪人なのか? いずれにしろ、この急な坂を下った先にそれは待っているのだろう。
 堀とは名ばかりのドブ川を越え、住宅地の迷路の中へ。ひとつ角を曲がると、不意に下校中の生徒の声が途切れた。耳を澄ますと、死角の向こうにざわめきは遠のいてゆく。目の前にはさらに角がふたつ。どちらも先の見通しはわるい。
 聡美は静かに唾を飲んだ。
 掠れて消えかけた〝止まれ〟の路面標示の上に、薄っすら闇がひそんでいる。
 息を殺してその角をやりすごすと、狭い道なりのカーブの先に、もうひとつの闇がじっとりと待ち構えていた。
 もしそこに、緋色の目が待っていたら?
 それよりも今、首筋に包帯巻きの腕が伸びてきたら?
 ありもしない気配に怯えながら、聡美は背後をふり返る。やはりそこには、傾斜地に並ぶ夕暮れの家々だけがひっそり佇んでいた。そうしている間にも、じりじりと陽は沈んでゆく。ふり返り、角を曲がる。角を曲がって、またふり返る。
 ようやく住宅地を抜けたところで、キィキィとペダルを漕ぐ音がした。
 飛び出しかけた心臓を押さえてふり向くと、時代錯誤な豆腐屋の自転車が、気の抜けたラッパを鳴らしながら聡美を追い抜いて行った。
 ほぉ、と震える息が大きく漏れた。
 乱れた鼓動を落ち着かせながら、ふたたび県道を目指す。
 きっと、父は帰っている。
 たとえ聡美を待っていなくても、そこには帰れる場所がある。
 結局、聡美にはそれしか頼るものがなかった。父との関係が明るみに出れば、父は職を失い、聡美も路頭に迷うことになる。施設に入ることになっても、そんなものは居場所がなくなるのとおなじだ。父も、聡美も、聡美たちを追い詰めた奴らも、みんなみんな消えてしまえばいいが、それだって現実には不可能だ。聡美さえ我慢していれば、それで丸く収まるのだ。だから、急いで帰ろう。父の作ったおでんをふたりで食べ、今夜も人形になって呪われた儀式をやりすごそう。
 ほら、もう歩道橋だって見えてきた。
 この階段を上りきって、県道を渡って向う側へ。
 足元はだいぶ暗くなったけれど、まだ陽は落ちきっていない。コの字型に折れた踊り場を抜ければ、団地までひと息だ。
 けれど――
 やはりそいつは、じぃっと見つめていた。
 歩道橋の階段の天辺から、踊り場の聡美を見下ろしていた。
 だらりと垂らした日本刀が、鈍色に残光を照り返す。全身の包帯は、膿とも脂ともつかないシミでどこと言わず薄汚れている。
「ひッ……」
 反射的に出かかった怪人の名は、喉の奥で押し殺した。
 夕日に染まってなお赤い目が、聡美の視線と絡み合う。顔中の包帯から覗く、白目も黒目もない血色の眸だ。聡美は思わず身を引いて、硬直したまま後退る。心臓がギシギシ痛み、左手で制服の胸元を握りしめる。
 その左手を追って、ぐるりと赤い視線が動いた。
 なぜ、と思う間もなく聡美は身を翻した。今きた階段をひと息に駆け降りると、県道に沿って走り出す。嫌だ、嫌だ、嫌だ。わたしばっかり、どうしてこんな目に……問いかけると、ひさびさの頭痛と一緒に母の声が返ってきた。だから言ったでしょう? いや、そうじゃない。これはカヨちゃんの声か……ふり払おうと夢中で走るうち、ほどなく進んだバス停で折よくバスが捉まった。行き先も確認せずに飛び乗った。
 ブザー。アナウンス。閉まる乗車ドア。
 息をきらせて顔をあげると、乗客の視線が揃って聡美に向けられていた。混雑というほどではなかったが、車内の座席はすべて埋まっていた。その無数の視線に囲まれて、聡美はどうにか安堵の息を漏らす。これだけの人目があれば、怪人も追ってはこれまい。そう確信しながら、乗客の間をぬってよろよろと最後尾まで進む。
 すると一段あがった後部座席の窓側から、
「だ、大丈夫かい。お嬢ちゃん……顔色わるいけど」
 と、白髪の男の声がかかった。
 困惑しながら席を譲る男の申し出は、遠慮せずに受けた。それを待っていたように、バスはゆっくりと夕暮れの町に向けて発車する。
 そっと肩越しにふり返った歩道橋には、すでに怪人の姿はなかった。
 窓にそえた左手の包帯が、なぜか緩んで解けかけていた。

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