「小説」
伝怪

伝怪 09

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 やがてバスは市街地を経由し、郊外の新興住宅地を目指してゆく。
 県道をそれ、私鉄の線路を潜るアンダーパスを通過するころには、町はすっかり宵闇の青につつまれていた。
 帰宅時間も近づいたのか、バス停のたびに乗客も増えてゆく。
 聡美はただぼんやりと、それを眺めていた。
(大丈夫、大丈夫――)
 ここにはもう怪人はいない。それに冷静になってみれば、あれはただの幻覚だ。どんなにはっきり見えても、実際に襲ってくるはずはない。だから、家に帰ろう。早くバスを降りて、遅れを取り戻そう。でないと、また父が取り乱す。今度こそ、帰る場所がなくなってしまう。それはわかっていても、頭痛で鈍る頭が行動に移すのを拒絶した。
 たまに流れる車内アナウンスも頭に入ってこなかったが、バスの終点ならおおよそ見当はついた。国立病院の前を通るこのルートなら、国道沿いの県営公園を境に、バイパスに入るか父の勤務するキャンパスに着くかのどちらかだ。
 降りるなら、県営公園の前。
 公園といっても、かなり敷地は広い。テニスコートもあれば、野外ステージもある。市役所沿いの二区画を使用した、県外にも名の知れた公園だ。敷地内には市立図書館もあって、聡美も休日にはよく利用している。
 とにかく、早く引き返さなければ。そうは思うが、一向に気力がわいてこない。
(わたしは、なにをしてるんだろう……)
 聡美は自分の反応に戸惑いを覚えつつ、窓の外に視線を投げる。すでに渋滞の始まった対向車線は、テールランプのまっ赤な連なりが駅までつづいていた。仮に今すぐ折り返しのバスを捉まえても、とても夕食には間に合わない。行き詰ってバスのシートに背をゆだねると、当たり前のように不吉な疑念が首をもたげてきた。やっぱりわたしの頭は、おかしくなってしまったのだろうか?
(違う、ちょっと疲れてるだけだ。きっとそうだ)
 必死に否定してみるが、もつれた思考は堂々巡りするだけだった。
 じゃあ、この頭痛は?
 さっきの気味わるい怪人は?
 どちらにしろ、幻覚から逃げ出す時点でどうかしている。そんな気もして、そら寒くなって肩を抱いた。そもそも、こんな都市伝説がなぜ怖いのか? 子供だましのおふざけじゃないか? 考えるほど頭痛は酷くなり、脳裏にノイズのような言葉が蘇る。
 ……人間は、弱くて脆い……こころのバランスが……そんな時の……緊急回避……昔から……妖怪……都市伝説……通り物……。
 ――通り物?
 たしか妖怪の名前だ。ということは、これは父の声。
 なにか記憶に引っかかっている。引っかかってはいるが、どうしても思い出せない。思い出さなくてはいけない気もするし、決して思い出してはいけない気もする。もどかしさから逃れるようにふたたび窓の外へ視線をそらすと、ふと窓ガラスに映った自分の姿に気づいてぞっとした。憔悴して青褪めた顔。焦点のない虚ろな眸。その表情は、我ながらこの世の住人のものとは思えなかった。
 まるで幽霊か、それとも……
 ろくでもない妄執に囚われかけ、慌てて聡美は首をふる。
(あれは幻覚、幻覚なんだ。だから――)
 ……早く呼ぶの、あの名前を。
 頭痛の痺れにまぎれて、カヨちゃんの声がした。どうしてカヨちゃんは、そんなことを言うのだろう。怪人の名を呼べば、救われるとでもいうのか。それより頭が痛い。ならばいっそのこと……そこまで思い詰めた時、ポーンとチャイムが鳴った。アナウンスされたのは、ルートが分岐する公園前のバス停の名前だった。
(……そうだ、ここで降りなくちゃ)
 とっさに聡美は、降車ボタンを押した。バスはしばらく走って、冬枯れたケヤキが並ぶ歩道に横づけで停車した。
 やっとのことで重い体を引き上げると、乗客を掻きわけて降車口へ向かう。ふらつく足でステップを降りた聡美の頬を、冷たい風がひと撫でした。バスを降りたのは、聡美ひとりきりだった。それと引き換えに、またバスはぞろぞろと行列を呑みこんでゆく。
 ハザードのオレンジに照らされた顔は、みんな疲れていた。
 仄暗い並木道は、それで不意に人気が絶えた。
 そしてブザーと共にバスが走り去ると、聡美はとうとう悲鳴を上げる。ようやく灯り始めた街灯の下を、わき目もふらずに駆け出していた。なぜなら、渋滞を挟んだ通りの向こう側――バスの影から現れた、折り返しのバス停の頼りない電飾の隣に、無言で聡美を見つめる怪人の姿があったからだ。

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